1.石井研士(國學院大學教授)

〇テーマ:

「結婚式隆盛期におけるブライダル産業の役割に関する研究
―昭和30年代から50年代を中心に―」

〇実施内容:

本研究の目的は、結婚式がホテルや専門式場で行われるのが一般的になる過程で、ブライダル産業がどのような結婚式に関する提案を行ってきたのかを明らかにするための研究と資料収集を行うことである。申請者は平成17年に『結婚式―幸せを創る儀式』を刊行したが、ブライダル産業がどのような結婚式を提案し人々が受容していったか、具体的な事例を含めてほとんどわからなかった。ナシ婚が増加していく中で、結婚式がどのように人々に受け入れられていったのかを知ることは、儀礼文化の縮小に歯止めをかける可能性を有すると考えた。
作業は資料の収集と整理を中心に行った。資料は、公開されている複数の雑誌データベース・刊行文献から、結婚式に関する雑誌を抽出した。また、結婚式に関する論文・著作から戦後の結婚式に関する雑誌を探した。リストが作成しながら、実物、とくに節目となるような重要な雑誌の購入するため、インターネットと大學生協に購入依頼を発注した。しかし、購入は困難を極めた。「日本の古書」を通して全国発注したが、入手できたのは80冊ほどの雑誌だった。また、国会図書館を始め所蔵されている結婚式雑誌を探したが、東京都立図書館の多摩分舎に創刊号からの『ゼクシィ』他数冊があることがわかった。これらの一部はコピーすることとした。
入手できた雑誌は謝金を用いてコピーしてスキャナをかけて保存した。

〇結果と考察:

現在、結婚情報誌に関しては、ほぼ『ゼクシィ』の一人勝ち状態であるが、かつては多くの種類の雑誌を複数の出版社が刊行していた。
結婚に関する情報誌は1960年代、つまり高度経済成長期に刊行されたのを初めとしていいと考える。それまでの「結婚」に関する情報は、四大婦人雑誌と言われた『主婦之友』、『婦人倶楽部』、『婦人生活』、『主婦と生活』の付録に特集として刊行されている。『婦人倶楽部』の昭和27年の特集号『現代の結婚百科事典』には、見合いから結婚の医学まで336頁にわたることこまかな指導が掲載されているが、結婚式場の選択に関する項目はない。雑誌ではないが、昭和34年に刊行された石川雅章『結婚礼法と祝辞』の内容はほぼ雑誌の内容に近くなってくる。確認できた最初の結婚情報誌は『WEDDING PLAN BOOK』と『結婚の本』ではとバス興行から昭和41年に刊行されたものだった。これらの雑誌は、現在、存在が確認できていない。この後結婚式に関する雑誌は増えていく。第一次ホテルブームが東京オリンピック、第二次ホテルブームが昭和54年の万博で、結婚式も専門式場からホテルへと移りつつある時代だった。
『ゼクシィ』の刊行は平成5年であるが、前年の平成4年には『けっこんぴあ』が出版されている)その後廃刊)。『ゼクシィ』は今でこそ一人勝ちの状態であるが、雑誌としてはかなり後発である。『けっこんぴあ』が地域版を出し始めたのは平成5年のことである。
今回のちょうさでいくつか問題点が生じた。第一は、1960年代、70年代の雑誌が入手できなかった点である。できなかったというよりも現時点での存在を確認できなかった。雑誌に関しては大宅壮一文庫が幅広く大量に収集していることが知られているが、大宅文庫には結婚関係の雑誌は一切収集されていなかった。古書を探したが、日本の古書なのネットワークを通じてオーダーを出したが、一冊も入手できなかった。第二に、第一の理由に付随するが、ごくまれに古書として流通する1990年代前半までの雑誌がきわめて高額であった。
以上のような条件でのおおまかな結論であるが、結婚式に関する情報誌は現状の結婚式数の増加を背景に生まれたと考えられる。結婚式の専門雑誌の刊行前に、女性誌の特集や特集号として「結婚」が提案されていたと考えられる。
昭和の終わりから平成になると、挙式の様式がキリスト教式に、披露宴の会場もホテルが好まれるようになり、そうした動向を背景に結婚雑誌は群雄割拠の時期を迎える。この時期の雑誌はすでに現在と同じような内容構成といえる。そして平成5年の『ゼクシィ』の登場により、リクルートの持つ幅広い情報網と戦略は他を大きくしのぐようになり、独占的な地位を築くようになる。このことは同時に、他の結婚雑誌の衰退と消滅を意味している。
今後は、欠けている年代の雑誌の収集と、特集を初めとした記事の分析を通して、結婚式がどのように生まれ、変化して現在に至ったかを分析することが重要である。すでに「結婚式」に関する新聞記事、大宅文庫の雑誌記事検索、主要ホテルの社史に記載された結婚記事の収集、各互助会が刊行した社史も収集済みである。これらの資料を用いて、千五日本人が結婚をどのような形で祝いたいと考えたのかが理解できるようになるのではないか。