2.嘉瀬井 恵子(国立大学法人富山大学 特命助教)

〇テーマ:

戦後の「結婚の簡素化」要請の提唱過程における嫁入り道具に関する研究-越中・加賀・能登地域の嫁のれんを事例として-

〇実施内容:

本研究は、加賀藩の領地で加賀・能登・越中の婚礼時の持参品「花嫁のれん」を対象として、特に戦後、政府や自治体等による、冗費の廃止を目的とした生活改善運動の一環として要請された「冠婚葬祭の簡素化」のうち「結婚の改善要請」に着目し、その影響関係と、当時の地域住民の様態を検証することを目的としました。
本研究では、自治体による「結婚の改善要請」にいかなる要素と方法が含意されていたのかを分析するため、文献調査と、ヒアリング調査を行いました。ヒアリングの対象地域は、富山県氷見市、高岡市、小矢部市、砺波市、南砺市、石川県金沢市、津幡町、七尾市、羽咋市、かほく市です。
文献調査では、富山県と石川県で結婚改善が強く要請された昭和初期以降の市史、広報紙を中心に、自治体制の結婚改善要請の内容について情報を収集しました。また、この文献調査によって、花嫁のれんの風習が息づいてきた地理的範囲も確認できました。加賀友禅で作られた紋、素材、絵柄について専門書で確認することで、時代別の特徴や、婚礼文化としての継承の要素を分析しました。
他方、結婚改善の要請があった昭和初期、花嫁のれんを持参して婚礼をあげた地域住民(や、大正末期に使用した花嫁のれんを受け継いだ家族)を主な対象として、花嫁のれんを持参した経緯や家庭の状況、結婚改善要請期の地域社会の諸相をヒアリング調査しました。地域住民の語りから、一生に一度、婚礼時にしか使わないとされることから冗費とみなされた花嫁のれんの意味合い、性格を分析しました。また、ヒアリング調査と併せて、婚礼時に持参した花嫁のれんの現物写真を撮影させてもらい、記録としてとどめました。本研究のまとめの段階では、地域住民へのヒアリング調査から得られた情報を検証するために、呉服店、染色、加賀友禅の問屋、友禅作家ら専門家に助言を依頼しました。特に、各地域の博物館・資料館の学芸員らの知見や専門書で得られた情報と、地域住民が使用した花嫁のれんを統合することで、地域の伝統文化としての花嫁のれんの真実性の解明に努めました。
本研究に得られた成果については、令和4年6月25日に高岡市立博物館の郷土学習講座・第1講「越中の嫁のれん」とのタイトルで講演を行います。また、現在、論文を執筆中で、令和4年度のうちに学会誌への投稿(令和5年3月に出版予定)と、学会での口頭発表を行う予定です(令和4年10月)。

〇事業の効果
    • ヒアリング調査では「婚礼当日まで実家の両親(あるいは婚家)が加賀友禅で作られた高価な花嫁のれんを用意しているのに気づかずにいた」との証言が多々ありました。戦前戦後の物心共に苦しかった時代の「用意」とは、すなわち、花嫁のれんを用意するための「工面」を意味しています。こんにち、昭和末期以降、婚礼文化としての花嫁のれんを継承する住民は少なくなりました。このような状況において、ヒアリング調査に協力してくれた地域住民らにとっても、花嫁のれんを用意する実家側の心理や、先祖との結界の意味としての婚家側の意義といった花嫁のれんの性格を再認識し、地域の婚礼文化に自覚的となる機会となったと思います。

 

    • 特に富山県では婚礼道具は冗費とみなされ、強く結婚改善が要請されていたにも関わらず、花嫁のれんを継承した住民の行為とは、結婚の改善や簡素化要請に対する一通過点ではなく、現在に至る地域風習のダイナミズムを示すことが本研究からわかりました。したがって、本研究で得られた成果を踏まえ、花嫁のれんを単なる婚礼道具としてではなく、地域社会を形成する文化的要素として見る研究視角を提示していきたいと思います。例えば、文献やインターネットでは【一生に一度、婚礼時にしか使わない花嫁のれん】との説明がなされていますが、ヒアリング調査では、実際には母親や姉、親戚から譲り受けた例や、姉妹間、本家と分家、近隣住人間で貸借したとの証言がありました。花嫁側の捉え方ではなく、花嫁のれんを起点に捉えると、その文化観は違った様相が見えてきます。花嫁のれんは一生に一度しか使わないという型にはまったノスタルジックな定義がある限り、モノが手に入りにくい時代に親が嫁ぐ娘に工面して託した花嫁のれんの真実性(authenticuty)にたどり着く機会は少ないと思われます。ある言葉を定義するものは現実の私たちの経験の中にしかありません。このように見えてきた課題に対しては、本研究の成果を発表することで花嫁のれんが内包する意味論的転回に努めて参りたいと思います。
〇掲載資料: